建部大社

建部大社

建部大社
たけべたいしゃ
Takebe-Taisha Shrine
天孫と出雲が結束

予備知識

建部大社は滋賀県大津市、瀬田川の畔に鎮座する近江国一宮です。日本神話の英雄ヤマトタケルを主祭神としています。

所在地

滋賀県大津市神領1丁目16-1
1-16-1 Jinryō, Ōtsu city, Shiga Pref.
  • 京阪電鉄『唐橋前』駅→徒歩10分
  • 名神高速道路『瀬田西』または『瀬田東』IC→車で5分(大型駐車場あり)

なかなか交通至便な立地です。それにしても「神領じんりょう」ってカッコいい地名ですね。

祭神

主祭神
ヤマトタケル(日本武尊)
Yamato-Takeru-no-Mikoto
オオナムチ(大己貴命)
Ōnamuchi-no-mikoto

ヤマトタケル(倭建命 / 日本武尊)だけかと思いきや、大国主ことオオナムチ(大己貴命)も主祭神扱いなんですね。オオナムチは奈良時代(755)に大神神社から勧請されたようですが、何か政治的な意図があったのでしょうかね?

由緒

創建年不詳

創建

社伝では、ヤマトタケルの没後、父親である第12代景行天皇と、妻であるフタジヒメ(布多遅比売命)によって創建されたことになっています。

この時代の天皇は実在性や実年代が不透明です。ただ、第10代崇神天皇以降の数世代はヤマト王権の黎明期であり、少なくともモデルになるような人物は実在しただろうと考えられています。

遷座

創建当初は東近江市(合併前は八日市市ようかいちし)の五箇荘ごかしょうに鎮座していましたが、飛鳥時代(675)に天武天皇が現在の地へ遷座させたようです。ちなみに、八日市には「建部たてべ」という地名が残っています。おそらく「タケルとその一族の所領」みたいな意味でしょうね。

社格

名神大社近江国一宮旧官幣大社別表神社

近江国こと滋賀県は他にも有名神社がたくさんあります。その為あまり目立ちませんが、社格は文句無しに高いです。

建部大社の周辺地域

瀬田川

瀬田川せたがわは琵琶湖から流れ出る唯一の川です。京都府に入ると宇治川に名を変え、淀川へと合流します。

瀬田の唐橋

その瀬田川に架かるのが『瀬田の唐橋からはし』です。古代から近世に到るまで、東国から畿内への玄関口のような役割を果たした橋です。『壬申の乱』(672)や『恵美押勝の乱』(764)においても決戦の場となりました。

また『日本書紀』によれば、押熊王子おしくまのおうじが反乱を起こすが神功皇后じんぐうこうごう武内宿禰たけのうちのすくねに制圧され、ここで入水したとされています。具体的な年代は不明で、その時代からここに橋があったかどうかも不明です。

建部大社境外

瀬田の唐橋を渡りきって400mほど歩けば、道が参道へと分岐します。建部大社の揮毫と一ノ鳥居が目印です。この前後の道があまり広くないので、ちょっと気をつけて歩きましょう。

ところで、この辺りは旧東海道と旧東山道の分岐点にあたるんですよね。つまり、東国と畿内を往来する場合、ほぼ必ずと言って良いほどここを通るわけです。

天武天皇が何故この地に建部大社を遷座させたか、なんとなく分かる気がします。彼は東国の豪族たちの協力を得て、この地で大友皇子を打ち破ったので、その戦勝記念でしょう。それに加え、東国を平定した英雄の御霊をここに祀ることで、東国へ睨みを利かせる目的もあったのではないでしょうか。

建部大社境内

参道

一ノ鳥居から100mちょっとで左手にニノ鳥居が見えます。おそらく、ここからが境内です。

ニノ鳥居から神門までの間に、ヤマトタケルのストーリーを描いたイラストパネルが設置されています。作画担当はフリーランス絵師の添田一平氏です。私が好きなゲーム『ファイアーエムブレム』シリーズの作画を担当されたことのある人です! 英雄ヤマトタケルの神話を読んだことある人もない人も、ぜひ一枚ずつ目を通してほしいです。

『古事記』の内容をそのまま現代語訳すれば英雄というよりサイコパスなんだけど、さすがにそのあたりはオブラートに描かれてるっぽい(^_^;)

神門の神紋

神門に三つ葉マークが描かれていますよね。これは建部大社の神門で、神域に生えている三本杉を象ったものです。この先にあります。

神域

拝殿・三本杉

神門をくぐれば拝殿が見えます。青空や木々の色に調和していますよね!

そして、その右手前が三本杉です。 オオナムチ(大己貴命)が勧請された天平勝宝七歳(755)に一夜で成長したという伝承があります。

本殿・権殿

拝殿の背後に幣殿、その背後に本殿と権殿があります。左側がヤマトタケルを祀る本殿、右側がオオナムチを祀る権殿です。ヤマトタケルは皇族なので天孫系。これに対し、オオナムチは出雲の神様です。天孫系と出雲系が仲良く同居しているケースって、少ないですよ。そういえば、出雲もヤマトタケルに制圧されましたよね…

そもそも、なぜ奈良時代(755)にオオナムチことオオクニヌシ(大国主)を勧請したのでしょう? 聖武天皇の娘である孝謙天皇(後の称徳天皇)の在位年間ですが、権勢を振るっていたのは藤原仲麻呂(後の恵美押勝)です。彼は仏教勢力を牽制しようとしていた立場なので、あえて皇族の神社に出雲系の神を合祀することで、天孫系と出雲系の神道を結束させる狙いがあったのかもしれません。

いずれにせよ、当時の神道の概念だと、天孫系、出雲系、八幡系は全く別の宗教だったと考えるべきでしょうね。

総括

いかがだったでしょうか? 滋賀県は有名神社が多いせいで、一宮神社たる建部大社があまり目立たないかもしれません。その代わり人が多すぎず、のんびりできるパワースポットです。特に歴史考察の好きな人間にとっては堪らない場所だと思います。

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