大村神社

大村神社

大村神社 / おおむらじんじゃ
Ōmura-jinja Shrine

予備知識

大村神社は三重県伊賀地方に鎮座するローカルな神社ですが、地震封じのパワースポットとして近年、全国から注目を集めています。

所在地

三重県伊賀市阿保1555
1555 Ao, Iga city, Mie Pref.

祭神

主祭神大村大神イコハヤワケ(息速別命)
配祀神春日神タケミカヅチ(武甕槌命)
フツヌシ(経津主命)
アメノコヤネ(天児屋根命)

大村神社の説によれば、大村神は4世紀頃の皇族であるイコハヤワケ(息速別命)に同一とされています。彼は第11代垂仁すいにん天皇の皇子であり、伊勢神宮創立者ヤマトヒメ(倭姫命)の弟です。また、日本神話の英雄ヤマトタケル(日本武尊)の叔父でもあります。

要石

配祀神であるタケミカヅチ(武甕槌命)とフツヌシ(経津主神)の2柱が境内の『要石(かなめいし)』と深く関わっています。それぞれ、鹿島神宮と香取神宮の主祭神です。この2柱がなんと奈良時代(A.D.768)に現世に現れ、関東から奈良へ行く途中、ここ大村神社に要石を置いて行ったと記す文献があります。鹿島神宮と香取神宮も要石が置かれていることで有名なので、この2柱がキャスティングされたのは偶然ではなく必然でしょう。

由緒

創建年不詳

社名由来

地名の阿保村(あおむら)が大村(おおむら)に転訛したという説があります。境内が森に覆われているため、大森(おおもり)から転訛したという説もあります。

安政伊賀地震

安政伊賀地震は江戸時代(1854)、現在の三重県、とりわけ伊賀市中心部に甚大な被害を及ぼした大地震です。ところが、大村神社が鎮座する阿保地区一帯だけは大きな被害が無かったため、大村神社の神々による加護だとする説が根付いたようです。

“ゆるぐとも よもやぬけまじ 要石 大村神の あらんかぎりは”

なお、タケミカヅチとフツヌシが要石を置いていったことを記した文献は室町時代(15世紀)のものです。なので、要石は安政伊賀地震よりも以前から存在し、人々に認知されていたことになります。

社格

式内小社旧県社

参拝レポート

周辺地域

伊賀市の中心部から少し離れた、青山高原にも程近い、非常に長閑な場所です。また、最寄駅の近鉄青山町(あおやまちょう)駅は、大阪方面からの急行列車の終着駅として設定されることが多い駅です。なので、大阪通勤圏の東限というイメージがあります。

大村神社

大村神社は小高い丘の上に鎮座し、西側、東側、そして南側の三方向に参道があります。

西参道

東参道

南参道

車の場合は自ずと駐車場のある南参道から入ることになります。鳥居付近からは周囲の街並みを見降ろすことができます。

虫喰鐘

神社なのに鐘があるのは神仏習合の名残りでしょう。材質の化学変化のせいで虫が喰ったような跡があるので、その名が付いたそうです。

巳の大杉

境内の真ん中あたりに佇む大杉です。白い蛇を見かけると幸せになれるという伝承があります。

本殿・拝殿

主祭神イコハヤワケ(息速別命)を祀る本殿・拝殿が北向きに鎮座しています。そして欄干には『欄干なまず』というナマズのぬいぐるみが並べてあって、なんだか可愛らしいです。

しかし、主祭神と地震封じの直接的な関連性を示唆するものは見当たりません。由緒書きには、主祭神はこの地域の発展に貢献したとだけ、記載されています。

要石社

拝殿の右手(西隣)に要石(かなめいし)と『要石社(かなめいししゃ)』があります。

要石は一部分だけが地表に出ており、地中に埋まっている部分も含めると巨大な岩なのです。そして、それが地下の大ナマズを押さえつけて、暴れないようにしているのだそうです。

外国人の方にとってはあまりピーンと来ないかもしれませんが、大昔の日本人は地下の大ナマズが暴れることで地震が発生すると考えていました。

水かけなまず

要石の手前にあるナマズ像が『水かけなまず』です。これに水をかける(願いをかける)と願いが叶うそうです。

授与所

授与所では『願掛けなまず』をはじめ、絵馬やストラップなど、各種ナマズグッズを入手できます。

御朱印

直筆で非常に丁寧な筆跡です。なぜか見ていて安心します。

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