吉備津彦神社
きびつじんじゃ
Kibitsuhiko-jinja Shrine
吉備津彦神社は岡山市に鎮座する備前国一宮です。主祭神である吉備津彦は、桃太郎のモチーフと考えられています。
予備知識
所在地
- 山陽自動車道『岡山』IC→車で約15分
- 岡山桃太郎空港→車で約30分
- JR吉備線『備前一宮』駅→徒歩5分
JRの駅が目と鼻の先ですが、運行本数は1時間に1〜2本です。ただ、沿線に有名神社が多い為、初詣シーズンなどは増発しているようです。
祭神・神体
| 主祭神 | オオキビツヒコ(大吉備津彦命) Ō-Kibitsuhiko-no-mikoto |
|---|---|
| 相殿神 | ワカタケキビツヒコ(若建吉備津日子命) Wakatake-Kibitsuhiko-no-mikoto |
孝霊天皇 The 7th Emperor Kōrei | |
孝元天皇 The 8th Emperor Kōgen | |
モモソヒメ(倭迹々日百襲比賣命) Ō-Yamato-Totobi-Momosohime-no-mikoto |
オオキビツヒコ(大吉備津彦命)は『古事記』や『日本書紀』に登場する四道将軍の一人で、『桃太郎』のモチーフになったと思われる人物です。本名はイサセリヒコ(彦五十狭芹彦命 / 比古伊佐勢理毘古命)なので、以後は「イサセリヒコ」と表記します。
相殿のワカタケキビツヒコ(若建吉備津日子命)は「吉備津彦ジュニア」のようなニュアンスで、イサセリヒコの甥に当たります。一般的に「吉備津彦」といえば主祭神であるイサセリヒコのほうを指します。
孝霊天皇、孝元天皇、モモソヒメ(倭迹々日百襲比賣命)はそれぞれ、イサセリヒコの父、兄、姉に相当します。これ以外にもイサセリヒコの親類縁者が相殿として祀られています。
由緒
社伝ではイサセリヒコの邸宅跡に建立されたことになっています。イサセリヒコが実在したとすればヤマト王権黎明期なので、古墳時代前期ですね。
社格
延喜式の式内社でないのが意外です。もともと岡山市東区にある阿仁神社(あにじんじゃ)が備前国で最も格の高い名神大社だったのですが、藤原純友(ふじわらのすみとも)の反乱(939)に加担した為にその地位を失い、棚ぼたで吉備津彦神社が一宮神社になったのだそうです。
吉備津彦神社神社の周辺地域
岡山市北区
備前と備中
岡山市は基本的に旧備前国に属するのですが、一部は旧備中国に跨っています。備中国一宮である吉備津神社も岡山市北区にあり、ここ吉備津彦神社からは直線距離にして1.5km程度しか離れていません。
吉備の中山
吉備の中山(きびのなかやま)は岡山市北区にある標高175mの山です。この山の麓に吉備津彦神社、吉備津神社の双方が鎮座しています。山頂付近にはイサセリヒコの墓とされる、中山茶臼山古墳(なかやまちゃうすやまこふん)という前方後円墳があります。
吉備津彦神社神社境内
参道
鳥居
正面の表参道に東鳥居、向かって右側の駐車場入口付近に北鳥居がそれぞれあります。東鳥居は夏至の日出の方角を向いています。


亀島神社・靏島神社
表参道は大きな神池を渡ります。左右の島にそれぞれ亀島神社、鶴島神社という末社があります。それぞれイチキシマヒメ(市杵島姫命)とツツノオ(筒男命)を祀っており、いずれも航海神です。


随神門
随神門は元禄十年(1697)、備前岡山藩の藩主である池田綱政(いけだつなまさ)が造営したものです。2025年12月現在、改修工事中でした。

神域
拝殿
拝殿の背後には吉備の中山が聳え立っています。橿原神宮の拝殿と畝傍山を彷彿とさせます。


祭文殿・渡殿・本殿
拝殿の背後は祭文殿、渡殿、本殿が一直線に連なっています。
本殿は寛文八年(1668)岡山藩主の池田光政(いけだみつまさ)が造営に着手し、その息子である綱政の代になって完成したものです。三間社流造の柳眉な建造物です。
また、渡殿の下には地下道のようなものがあり、そこにも拝所らしき場所がありますが、神社の公式サイトには公表されていません。善光寺の地下道のような(あそこまで暗くはないです)雰囲気を味わうことができますが、参拝は普通に拝殿前でやるほうが良いでしょう。



子安神社・末社群
拝殿の北側に摂社の子安神社と、7社の末社群が1列に並んでいます。
末社の中で印象に残ったのは吉備津彦の矢を祀る矢喰神社(やぐいじんじゃ)です。吉備津彦(イサセリヒコ本人か甥っ子のほうかは不明)が温羅(うら)の大将を討ち取った矢が祀られています。
ちなみに、温羅は鬼伝説のモチーフですが、おそらくはヤマト王権に服従しなかった豪族を抽象化したものだと思われます。
総括
同じ日に備中一宮の吉備津神社も参拝しましたが、備前のほうが人が少なくて意外でした。しかしそのぶん、パワースポット感に満ち溢れていました。岡山平野や児島湾を見渡せる丘に近く、しかも夏至の日出の方角にあるので、古代吉備の支配者が居を構えるのに相応しい場所だと思います。
御朱印には桃太郎の桃印と、池田家宗家の家紋である備前蝶が描かれています。池田家は備前岡山藩主として近代に至るまで、岡山の街作りに深く関わっていました。こういった、古代から近代に至る地域の歴史を学べることが神社巡りの醍醐味ですね。
