伊和神社
いわじんじゃ
Iwa-jinja Shrine
予備知識
伊和神社は兵庫県西部に鎮座する播磨国一宮です。大国主ことオオナムチを主祭神としており、社殿が北向きであることでも知られています。
所在地
- 中国自動車道『山崎』IC→車で15分
国道29号線、伊和神社境内の向かいに『道の駅 播磨いちのみや』があります。それとは別に、大きな駐車場が神社の裏手にあります。
祭神
| 主祭神 | オオナムチ(大己貴神) Ō-no-kami |
|---|---|
| 配祀神 | スクナビコナ(少彦名神) Sukunabikona-no-kami |
シタテルヒメ(下照姫神) Shitateruhime-no-kami |
オオナムチ(大己貴神)は出雲大社の主祭神であるオオクニヌシ(大国主神)と同一神ですが、地元では伊和大神と呼ばれています。
また、『播磨国風土記』ではアシハラノシコオ(葦原志許乎命)とも記されているようです。「葦原中国の色男」という意味で、おそらく出雲の王が周辺諸国との姻戚関係で勢力を広げていったことが由来だと思われます。つまり、この辺りは大昔に、政略結婚によって出雲王国(=葦原中国)の支配下に入ったものと思われます。
由緒
伝承では第13代成務天皇の時代だったり、第29代欽明天皇の時代だったりします。なんとなく、後者のほうが可能性が高そうです。
社格
一宮神社としては一般的な社格です。
伊和神社の周辺地域
宍粟市の地政学
難読市名
宍粟市は平成時代の合併(2005)によって誕生した、兵庫県西部の市です。合併前の郡名がそのまま市名になったパターンです。なかなか難読ですが、華のある地名だと思います。
なお、合併前の町名は「一宮町」で、現在も住所に旧町名を冠しています。平成時代以前は全国的に一宮という名の自治体が数多く存在していました。そして、その全てに一宮神社が鎮座しています。
兵庫の謎エリア
兵庫県はどうしても沿岸部ばかりが注目されがちで、内陸部は地味な印象をぬぐえません。でも、決してディスっているわけではないですよ。
この辺りはどことなく中国地方の雰囲気が漂います。実際、昔の行政区分も『山陽道』なので当然といえば当然かもしれません。
揖保川と因幡街道
宍粟市と伊和神社を語る上で欠かせないのが市内を縦貫するよう流れる一級河川『揖保川』です。そうめん『揖保乃糸』で知られる清流ですね。かつて、この川に沿う形で、播磨(現:兵庫県)と因幡(現:鳥取県)を結ぶ街道『因幡街道』が通っていました。
現代の地図を見る限り、伊和神社の鎮座する辺りは特に交通の要衝という感じでもないです。ただ、川の合流地点なので、古代においては重要な拠点だったのだろうと思われます。
ところで、揖保川の語源に関しては諸説あり、『播磨国風土記』では伊和の大神が食事中にご飯粒(粒のことをイボという)を落とした云々が記載されているようですが、ちょっと後付け臭がします。私個人的には、揖保(IBO)は伊和(IWA)が訛ったのだと思います。

伊和神社境内
北参道
こちらは国道側の参道です。北鳥居と北随神門があります。


西参道
裏の駐車場側にも参道があります。西鳥居と西随神門です。


神域
社殿
いずれかの随神門をくぐれば社殿が見えて来ます。特筆すべきなのは拝殿・本殿が北を向いているということです。東京の大國魂神社もそうですが、これは割とレアなケースらしいです。やはり、大国主系なので、征服者である太陽神アマテラス(天照大神)に反目しているのでしょうかね?
拝殿と本殿の間には幣殿があり、その両脇に北を向いた鶴の像が安置されています。これは伊和神社創建時(6世紀前半?)の伝承にちなんでいます。この地に2羽の白鶴が岩に腰掛け北を向いて眠っていたため社殿を北向きにしたというものです。





鶴石
本殿の裏手に廻って見ましょう。先ほど述べた伝承の「白鶴が腰掛けた」とされる岩のことです。
この伝承に関してですが、おそらくは神社の創建者とされる伊和恒郷(6世紀?)の詭弁だと思います。白鶴はアマテラス(天照大神)とその直系である天皇家のシンボルです。そして、岩とは自身を含む伊和一族を比喩していると思われます。つまり、社殿を北向きに造りたいけれども天皇家への謀反を疑われたくなかった為、このような話をでっち上げたのだと思います。


御朱印
日付が活字なのがユニークですね。これはこれで悪くないと思います。
