吹揚神社 今治城
ふきあげじんじゃ・いまばりじょう
Fukiage-jinja Shrine &Imabari-jo castle
吹揚神社は今治城内に鎮座する、明治時代創建の神社です。今治城の別名である「吹揚城」が名前の由来です。
予備知識
所在地
アクセス
- JR予讃線『今治』駅→徒歩約25分
- 西瀬戸自動車道『今治』IC→車で約10分
祭神・神体
| 主祭神 | アマテラス(天照大神) Amaterasu-Ōkami |
|---|---|
八幡大神 Hachiman-Ōkami | |
コトシロヌシ(事代主大神) Kotoshironushi-no-Ōkami | |
オオナムチ(大己貴大神 / 大国主) Ōnamuchi-no-Ōkami | |
菅原道真(845-903) Sugawara-no-Michizane | |
藤堂高虎(1556-1630) Tōdō Takatora | |
久松(松平)定房(1604-1676) Hisamatsu <Matsudaira> Sadafusa |
天孫系と出雲系が混在していますが、明治時代に創建された神社は概してそういう傾向があります。
藤堂高虎(とうどうたかとら)は築城の名手で、今治城の創建に携わったと云われています。
久松定房(ひさまつさだふさ)は江戸時代初期の寛永十二年(1635)、今治城の城主となった人です。彼の家系は『久松松平家』と呼ばれ、もともと菅原道真の末裔でしたが、縁あって松平姓を名乗ることが許されたそうです。同家は明治時代の廃藩置県まで今治藩の藩主を務めました。
由緒
当時は城跡や藩邸跡に藩祖を祀る神社を創建することが流行ったようです。
社格
愛媛県神社庁のサイトによれば、創建時は郷社だったものが10年後に県社へ昇格したとあります。
今治城
吹揚神社の紹介記事というより、今治城の記事になりそうですが、仕方がないですね。時代こそ違えど、その地域の政治拠点という意味では、お城も神社も「かみのやしろ」に違いありません。
内堀
駐車場は掘の東側にあります。到着してまず驚いたのは掘の綺麗さ。頑丈そうな石垣に囲まれ、青々を水を讃えています。



県庁所在地でさえ、ここまで立派な掘に囲まれた城はそうそうないです。かつては外堀も存在していたようですが、現在は市街地の運河にその名残を留めています。
吹揚神社
吹揚神社は天守閣のすぐ近くにあります。鳥居から神門、拝殿、本殿までが一直線に並んでいます。
これらの社殿は昭和二十年(1945)の空襲と昭和五十五年(1980)の火災で2度消失しましたが、昭和五十八年(1983)に再建されました。


吹揚稲荷神社
吹揚神社に向かって左手奥に吹揚稲荷神社(ふきあげいなりじんじゃ)があります。末社として稲荷神社を抱えている神社はたくさんありますが、ここの稲荷神社はなかなかの映えスポットです。ウカノミタマ(宇迦之御魂神)を稲荷神と同一神として祀っています。

住吉神社
稲荷神社の手前にあります。海に近い為だと思われますが、航海神である住吉大神(すみよしおおかみ)と厳島大神(いつくしまおおかみ)を祀っています。
天守閣
外観
現在の天守閣は昭和五十五年(1980)に建造された鉄筋コンクリート製です。藤堂高虎が建造した当時の天守閣が本当にこの場所にあったかどうかは定かではありません。
しかし、街のシンボルとしては十分に機能していると思います。現代の天守閣をバックに堂々と佇む藤堂高虎像が異彩を放っています。


内部
せっかくなので天守閣の内部に入ってみましょう。鉄筋天守閣あるあるですが、内部は資料館になっています。撮影禁止エリアが多いですが、鎧や刀、貴重な史料などが展示されており、一見の価値ありです。
そして、最上階からの展望が素晴らしいです。今治の市街地や『しまなみ海道』が綺麗に見渡せます。そして、吹揚神社や吹揚稲荷神社も眼科に望むことができます。



そもそも、今治城の別名「吹揚城(ふきあげじょう)」由来は、この場所が吹き上げられた砂でできた海岸だったことに因むそうです。たしかに、しまなみ海道の方角を望むと、この辺りが砂浜だった頃のかつての景色が思い浮かびます。
総括
恥ずかしながら、松山城と宇和島城は知っていたのですが、今治城を知りませんでした。なんとなく、今治は城下町というよりは工業都市や港湾都市のイメージでした。
予定外で今治に立ち寄ることになったので、初めて市街地に足を踏み入れたわけですが、来てみてイメージが変わりました。こんな海岸沿いに立派な城と神社があるなんて、タオルとバリィさんだけじゃない奥が深い街だと実感しました。
御朱印
